
「がん細胞の燃料はグルコースとグルタミンだけ」は本当?がん代謝と食事療法を検証
「がん細胞には燃料源がたった2つしかない。グルコースとグルタミンを断てば、腫瘍は飢餓で死ぬ」。
こうした主張が、70歳のがんサバイバー「キース」の体験談としてSNSなどで注目されています。
主張では、砂糖やパン、パスタなどを減らしてグルコース供給を抑え、さらに緑茶、きのこ、ターメリック、モリンガ、発酵食品などを利用してグルタミン利用を妨げれば、がん細胞を「兵糧攻め」にできるとされています。
確かに、グルコースとグルタミンが多くのがん細胞にとって重要な栄養源であること自体は、がん代謝研究でよく知られています。
しかし、
「がん細胞にはこの2種類しか燃料がない」「食事で両方を断てば腫瘍が死ぬ」
というところまで単純化するのは、現在の科学的知見とは一致しません。
がん細胞がグルコースを大量に使うのは事実
がん細胞の代謝研究で有名なのが「ワールブルグ効果」です。
多くのがん細胞は、酸素が存在していても大量のグルコースを取り込み、解糖系を活発に利用します。
そのためPET検査でも、放射性標識したブドウ糖に似た物質を使い、グルコース消費の多い腫瘍を画像化できます。
つまり、
「がん細胞がグルコースを大量に利用する」
という部分にはしっかりした科学的根拠があります。
ただし正常細胞も当然グルコースを利用するため、「糖質を食べなければがんだけを飢餓状態にできる」という単純な仕組みではありません。
体は食事から糖質を摂らなくても、肝臓などでアミノ酸やグリセロールからグルコースを作る「糖新生」を行います。
グルタミンも重要ながん代謝物質
もう一つのポイントがグルタミンです。
グルタミンは血液中に豊富に存在するアミノ酸で、細胞がエネルギーを作ったり、タンパク質や核酸を合成したりするために利用されています。
特に一部のがん細胞ではグルタミン消費量が非常に多く、「グルタミン依存」「glutamine addiction」と呼ばれる現象が研究されています。
実際、腎細胞がん、血液がん、膠芽腫、膵がんなどでは、グルタミン代謝が重要になるケースが報告されています。
このため、グルタミン代謝を薬剤で阻害することは、現在もがん治療研究の有望なテーマの一つです。
しかし「燃料は2つだけ」ではない
ここがSNS上の説明と実際の研究との大きな違いです。
がん細胞は非常に代謝適応能力が高く、グルコースとグルタミン以外にも、
脂肪酸、乳酸、酢酸、各種アミノ酸、ケトン体など
さまざまな物質を利用できる場合があります。
さらに、同じ「がん」であっても、臓器、遺伝子変異、腫瘍内の酸素濃度、治療歴などによって代謝経路は大きく異なります。
研究レビューでも、がん細胞は解糖系、グルタミン分解、TCA回路、電子伝達系、ペントースリン酸経路など複数の代謝経路を組み替えて生存するとされています。
したがって、
「すべてのがん細胞がグルコースとグルタミンだけで生きている」
という説明は正確ではありません。
糖質を減らせばがんを「餓死」させられるのか
糖質や精製された炭水化物を減らす食生活には、肥満予防や血糖管理など多くの健康上のメリットがあります。
米国がん協会も、がんサバイバーに対して、添加糖、砂糖入り飲料、高度加工食品、精製穀物を控え、野菜、果物、全粒穀物、豆類などを中心とした食生活を推奨しています。
しかしこれは、
「糖質を断てば腫瘍が消える」
という意味ではありません。
低炭水化物食やケトジェニックダイエットとがん治療との関係も研究されていますが、現時点では標準的ながん治療の代わりとして確立された方法ではありません。
グルタミンを食事で断つことはさらに難しい
グルタミンについては、さらに事情が複雑です。
グルタミンは食事から摂取するだけではなく、人体自身が筋肉などで大量に作っています。
つまり、
「グルタミンを含む食品を避ければ、がん細胞へのグルタミン供給を止められる」
という単純な話ではありません。
正常な免疫細胞や腸管細胞などもグルタミンを重要な栄養源として利用します。
そのため、がん治療としてグルタミン代謝を狙う場合には、食事だけではなく、がん細胞特有の代謝酵素や輸送体を薬剤で阻害する研究が行われています。
緑茶・きのこ・ターメリックなどはグルタミンを遮断する?
今回の主張では、
緑茶、きのこ、ターメリック、モリンガ、発酵食品
などがグルタミンの吸収や代謝を妨げるとされています。
これらの食品に含まれるポリフェノールなどについて、抗炎症作用や細胞シグナルへの影響を調べた基礎研究は数多く存在します。
例えばターメリックに含まれるクルクミンや、緑茶のEGCGについては、がん細胞を使った実験研究が長年行われています。
しかし、
通常の食品として摂取することで、人間の腫瘍へのグルタミン供給を遮断し、がんを飢餓死させることが臨床的に証明されたわけではありません。
培養細胞や動物実験の結果と、人間のがん治療で有効であることは分けて考える必要があります。
「エピジェネティクスで病気を逆転させる」とは
キース氏の主張では、4,000本以上のエピジェネティクス研究を読み、生活習慣によって複数の慢性疾患を改善したともされています。
エピジェネティクスとは、DNA配列そのものを変更せずに、遺伝子がどの程度働くかを調節する仕組みです。
食事、運動、喫煙、睡眠、ストレス、環境因子などがエピジェネティックな変化に関係することは研究されています。
ただし、
「生活習慣を変えれば遺伝子発現を操作して、がんを治療できる」
という単純な技術として確立されているわけではありません。
がんそのものが遺伝子変異とエピジェネティック異常の非常に複雑な組み合わせによって生じる病気だからです。
むしろ注意したい「がん患者の栄養不足」
がん患者にとってもう一つ重要なのが、栄養不足です。
米国がん協会によれば、がんや治療の影響によって食欲が低下したり代謝が変化したりし、体重や筋肉が減少する患者は少なくありません。
必要な栄養やカロリーを十分に取れなくなると、治療に耐えにくくなり、感染症リスクや回復にも影響します。
そのため、「がんを餓死させる」という考えから極端な糖質制限や食事制限を自己判断で行うことには注意が必要です。
それでも「がん代謝を狙う」という発想は重要
一方で、今回の話の根底にある
「がん細胞特有の代謝を狙って治療できないか」
という発想自体は、決して疑似科学ではありません。
グルコース代謝やグルタミン代謝、脂質代謝などを標的とする研究は、現代のがん研究の重要な分野です。
特に一部のがん細胞がグルタミンに強く依存することから、グルタミナーゼなどの酵素を阻害する薬剤の研究も進められています。
つまり、「がんを代謝面から攻撃する」という発想と、「特定食品を避ければがんを餓死させられる」という主張は分けて考える必要があります。
まとめ
今回の主張には、科学的に興味深い部分と、大きく単純化されている部分が混在しています。
がん細胞がグルコースを大量に利用し、一部のがんがグルタミンにも強く依存することは事実です。
そして、この代謝依存性を標的とした治療法は現在も研究されています。
しかし、
「がん細胞の燃料はグルコースとグルタミンの2つだけ」「食事でこの2つを断てば腫瘍は餓死する」
というところまでは、現在の科学では支持されていません。
がん細胞には代謝を切り替える能力があり、グルコースやグルタミン以外の栄養源を利用できる場合もあります。
緑茶、きのこ、ターメリック、モリンガ、発酵食品などを健康的な食生活の一部として取り入れることと、それらを「がんを餓死させる治療」と考えることも別問題です。
今回の話で注目すべきなのは、「糖を食べなければがんが死ぬ」という単純な結論ではなく、がん細胞の代謝依存性そのものが、新しい治療標的として本格的に研究されているという点でしょう。